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馬名: (部分一致検索) 全日学団体出場馬匹

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北大馬術部に初めてやってきた馬は昭和18年「小樽の軍用保護馬を共同購入」した「瓔珞」号でした。爾来、平成17年で75年を数える馬術部の歴史の中で、部員たちとともに、教え、教えられ、私たちの青春を彩った馬は120数頭にのぼります。これは共に歩んだ蹄跡群像の記録です。
部員が騎乗した馬ということでは、戦時中の月寒(つきさっぷ)、旭川など北部方面騎兵連隊で指導を受けた時代の馬も含まれるのでしょうが、その当時の資料は「馬術部三十年史」などに散見するにとどまり、詳細な馬名までは不詳です。
馬術部員が直接繋養管理した記録は、北海道大学馬術部「四十年記念写真集(S49)」によると、昭和18年の「瓔珞」号が初見です。和田晴氏(S22年卒)はこの中で「小樽の軍用保護馬を500円で部員が共同購入」と記されています。以来、今日まで120数頭の愛馬たちとの出会いと別れがありました。共に埃まみれになって教え、教えられた群像は、私たちの青春そのものでした。これまでの愛馬たちは、あるいは卒業年度によって、その名前も違ってくるものもあるようです。
「馬匹データ」は、「部報」などに記録された北大馬術部在籍馬をまとめたものです。資料は「部報」のほか、「三十年史」、「四十年記念写真集」、ホームページ後援会「馬匹データ」、同現役版「馬匹紹介」を参考にしました。馬の「年齢」表記は、現在採用されている「満年齢」に統一したので、皆さんの在籍繋養時と異なる場合もあります。「備考欄」の成績記録は、全日本大会クラスの「順位記録」にあるものを参考にしました。
馬匹を見ると、多くの先輩から口伝えに引き継がれた伝説を含め、愛馬たちの血統血種の変遷に時代の流れを感じます。今でこそ大学の自馬はサラブレッドが主流ですが、戦後の昭和30年代までは「アラブ」「アングロアラブ系」「アングロノルマン系」「トロッター」「中半血」などで登録された馬たちもありました。彼らは戦時中の軍用馬として日高、十勝、釧路などで生産され、戦後は競走馬として地方競馬で走ったり、農耕使役馬などにも活躍した末裔かと思われます。近代馬産の流れを思えば、米西部開拓史時代の主役「アンダルシアン」「モルガントロッター」などの活躍や、仏の乗馬「セルフランセ」にいたる良血保存の努力にも似た乗馬への愛情とも重なります。北の大地に培われた旺盛なフロンティアスピリッツとともに、「北海道産乗馬」変遷の跡を、北大の愛馬たちが残してくれているようにも思えます。
北大繋養馬の名前を、伝統的に頭文字「北」に統一されたのは昭和31年4月からでした。北大らしい名前について、「恵廸寮歌から探す」とか、「北海道の山や地名を当てはめる」などの案もあったが、対外的効果を重視し「北」に統一された(「部報№Ⅱ」昭和31年度)。当時の命名理由として、「北の大地の道しるべ」(北斗)、「品良くどっしりした体躯」(北嶺)、「慓悍そのもの」(北慓)、「婦人専用馬だったので綺麗で可愛い名前」(北翠)、「北大を象徴する樹木」(北楡)、「彫りの深い相貌より、深いを表す言葉」(北潭)などの新馬名が、北大馬術部繋養馬の一番最初に命名されたものです。
資料から転載した写真は一枚だけですが、皆さん思い出の「愛馬」写真で、記録に残したいものがありましたらお知らせ下さい。追加記載します。記述や写真で不明のものは「空欄」としましたが、正確な資料をお持ちの方は後援会までお送り下さい。(大場善明記)